『裏切り者』(ジェイムズ・グレイ監督)

ジェイムズ・グレイは、きわめて優れた脚本家であると同時に、それを映像として的確に具現化することを弁えた優秀な監督である。同時にこの二つであることは難しい。

冒頭、1年4ヶ月の刑期を終えたレオ(マイケル・ウォルバーグ)が刑務所から出所してくるところから始まる。それがレオの乗った地下鉄がトンネルを潜り抜け、明るい地上に出てくるワンショットに象徴される。「暗」から「明」へーこの主題がほぼ全編を覆い尽くしている。まず、刑務所が「暗」であることは言うまでもない。そこから外界へと出てきたレオは、まだ外気に触れることに慣れないのか、すぐには明るい日の光の下へと身を曝そうとはしない。出所したレオを陽気に出迎えるのは親友のウィリー(ホアキン・フェニックス)である。レオは車泥棒の罪で捕まったとき、一緒に犯行現場に居合わせたウィリーを密告せず一人で罪を被った。そのことがどこか心の暗部となってレオの心を塞いでいる。そして、レオが心を寄せる従妹エレン(シャリーズ・セロン)は、レオの服役中にウィリーとの親密度を急速に深めていた。
叔父フランク(ジェームズ・カーン)の経営する会社に勤めることになったレオはそこでウィリーの仕事を手伝うことになる。ウィリーの仕事は言わば汚れ役である。公共工事受注に絡み役員に賄賂を手渡したり、相手企業に対する妨害工作のためにチンピラを抱え込んだりしている。メキシコ系であるウィリーが白人社会でのし上がるためにはそうした仕事に手を染めるしかなかった。そして、ライバル企業を出し抜くために、地下鉄の操車場で妨害工作に及ぼうとしたときにまた悲劇を繰り返す。ウィリーは誤って人を殺し、見張りに立っていたレオは駆け付けた警察官に暴行し、危篤状態に陥らせてしまう。そのときにしっかりと顔を見られてしまう。レオは愚図でノロマなのだ。

意識を取り戻した警察官は早速レオの仕業と言い当てる。一人殺人の罪まで被ることになるレオ。その疑惑は叔父のフランクにまで波及し、果ては市長まで巻き込んだ大規模な汚職事件へと発展する。レオの身柄を巡って、警察とフランク側で争いが繰り広げられる。フランク側は揉み消しのために、警察よりも先にレオを始末し、口封じをしてしまおうという腹だ。その密命が親友であるウィリーに下される。マイノリティであるが故に、恋人エレンとの婚約にエレンの母親から難色を示され、さらにフランクからかつてレオとエレンに関係があったことを知らされたウィリーは火を付けられる。そもそも、ウィリーは自分の仕事に忠実なだけで、ヘマをしたレオに落ち度がある。レオを葬ることは親友に対する裏切りでなく、単に闇社会の掟を遂行するまでだ。道理は通っている。片やレオは自分の疑いを解き、ようやく手に入れた愛する母(フェイ・ダナウェイ)との生活を取り戻そうと暗中模索する。そう、まさに暗中模索だ。
レオは暗がりから暗がりへと身を沈める。逃亡先から母親のいるアパートに舞い戻ったとき、階段の暗がりの奥でエレンとウィリーの遣り取りをじっと見守っている。あるいは、路上でエレンを呼び止めたときも、闇に半身を浸して己の明度を微調整する。エレンの手引きで叔父のフランクと密会した場でも、決して警戒を緩めず、闇の陰にわずかに輪郭を浮かび上がらせるのみである。

そして終盤、レオが我が身を守るため、母を守るため、白日のもとに堂々と身を曝す瞬間が訪れる。この瞬間にこれまでの演出が賭けられていたと言って過言でない。“もう騙されるのはご免だ”。そうはっきりと口にしたレオは以降、姿勢を正し、常に明るい場所へと身を曝していく。顔を上げ、公衆の面前を大胆に闊歩する。命を狙われているレオにとって、それが唯一の自衛手段なのだ。
一方でウィリーはエレンとの不調に端を発し、一気に転落していく。この顛末は予期せぬ悲劇を辿ることになる。ここにも、“明”と“暗”の分かれ目がはっきりと描かれているのだ。

マイケル・ウォルバーグとホアキン・フェニックスのコンビはこの後、ジェームズ・グレイの次作『アンダーカヴァー』へと引き継がれている。父親役のロバート・デュバルを加え、文句なき傑作に仕上がっている。