『アデルの恋の物語』(フランソワ・トリュフォー監督)

アデルの恋の物語』をDVDにて鑑賞。
一昨年の東京フィルメックス万田邦敏監督の『接吻』が上映された際、主演の小池栄子が手紙を書くシーンは『アデルの恋の物語』を下敷きにしていると万田監督がおっしゃっていたが、確かに劇中、アデルは終始その内心を包み隠さず手紙に綴る。とてもその速度では手が追いつくまいという速度で、激しく声に出して書き綴っていく。
アデルを演じるイザベル・アジャーニは当初、イギリスの地に降り立ったときは息を呑むほど可憐で美しいが、かつて結婚まで約した青年将校の心がもはや自分になく、無残なまでの裏切りに逢ったとき、その精神に失調を来たす。青年将校を執拗に追い回し、次第にストーカーじみた行為に走り出す。父親からの送金も途絶え、宿を引き払ったアデルは放浪者のように街を彷徨い、衣服も髪も乱れ、仕舞いには野犬に追い立てられる始末である。よくもまあ、アジャーニがここまで…と呆れてしまうくらい見るも無残な姿を人目に晒す。
そう言えばトリュフォーは程よいとか、さじ加減といった言葉を知らぬ激情の持ち主たちを、よくその主人公として描いてはいなかったか。
トリュフォー的人物はひたすら短気で、怒りっぽく、人前であろうが大声で相手を罵って憚らない。どこか近眼じみた眼差しでじっと一点を見据え、やや前のめりぎみに早足で歩いていく。傍目には迷惑千万だがどこか愛すべき人々。それはトリュフォー自身の姿とも重なる。ここでもトリュフォーは、アデルという愛に生きた女性の生涯を惜しみなく愛している。彼は、たとえ周囲の理解は得られず、背を向けられようが、自分の愛に忠実に生きる人物たちを愛して止まないのである。紛れもなく、我々の愛したトリュフォー映画である。