世の中には二種類の人間しかいない

世の中には二種類の人間しかいない。◯◯する奴と、△△しない奴だ。

よく映画や小説で、はたまたミュージシャンなどが警句的にこういった決め台詞を吐き、おお、なるほどとその場では唸ってみたりするが何とも暴力的な物言いである。

勝ち組、負け組という言葉もこうしたきわめて乱暴な二分法の一つかもしれない。二分法はとかく乱暴で、引っ越しの際の”いるもの”、”いらないもの”やYES/NOクイズのように、有無を言わさずどちらかを選択するよう強要してくる。自分はどちらだろう、などとハタと立ち止まって考えてしまうこと自体がそもそも悔しい。

例えば、ひとつ提言してみよう。

世の中には二種類の人間しかいない。ブログを書く奴と、書かない奴だ。

私は長らく後者に属していた。携帯のときもそうであったが、どうもメディアの進歩に対して、斜に構えたところがあって、最初は半歩下がって周りの出方を伺い、アイツも使い出した、コイツも使い出した、チキショウ!まさかアイツまでが!と、ときここに至って初めて恐る恐る自分でも使い始める。

そうしてしばらく経つと、世の中にこんなに便利なものがあったのか、何でもっと早く始めなかったんだ、と頻りに後悔しつつ、まだ使っていない人間をあざ笑いすらする。変節漢も甚だしい。

思うにブログを書かない人間というのはどういう人種だろう。

・とくに書くことがない
・忙しくて書く暇がない
・コンピュータなどの電子機器に疎い
・ウイルス、ハッカー、情報漏洩、ブログ炎上などといった言葉を必要以上に恐れ、自分は真っ先にその餌食にされるのではないかと心底恐れている
・自分の日記を余人に公開するなどもってのほかだ、内面の危機である、などという拒絶反応 

とまあ、色々考えられる。
二分法の内訳を見ればさらに種々雑多ということだ。

しかも、私がブログを書き出したように、二分法をひょいと跨ぎ、明日にはもう一方の側の人間になっていることもあり得る。まことに恐ろしい。まさにゾンビ映画のようである。ゾンビになってしまうか、人間に留まり続けるか……。
そう言えばスティーブン・キングも『セル』という小説で、”携帯を持つ人間”と”持たない人間”の境い目に、人間とゾンビを分かつ死線を捏造していたではないか。(ちなみにキングは大の携帯嫌いを公言している。)

世の中には二種類の人間しかいない、ゾンビになってしまった奴か、人間に留まり続ける奴かだ。(注:ゾンビになった時点で既に人間ではない。)